支輪組物の考察@ ・・・山梨山名神社祇園
祭りにおいて 戻る
○ 最初に
平成22年の夏、山梨山名神社祇園祭りで何気なく屋台を眺めていたときに、支輪周辺の組物が屋台に
よって大きく異なることに気がつきました。何がどう違うのか、その時はさっぱり分からなかったのですが
屋根周辺を撮影して持ち帰り、屋台の履歴と比べてみました。製作年月日が最近のものから説明してあります。
なお、管理人は全くの建築素人ですので、誤解や誤りがありましたらドシドシ御指摘をお願いいたします。
○ 組物の説明
・各部の名称 月見町 龍月殿 1985年(昭和60年)製作
・大まかに見て、上記の様な部品にて組物は構成されています。龍月殿の場合、梁の先端を木鼻とし
その上には肘木の上に斗が3つあり前方に組物を有する「出三斗」という様式をとっています。
・二手先。
○上山梨下町 遊遷車 1997年(平成9年)製作
・山名神社祇園祭で最も新しい屋台。彫物の上に「出三斗」。
・ニ手先。その上にもう一つ斗が乗って大斗肘木となっています。
○入古 栄西舘 1992年(平成4年)製作
・遊遷車と同じく平成の落慶。彫物の上に「出三斗」、そこからニ手先。出三斗の
奥にもう一つ「斗」が見えます。(緑の矢印)彫物に負荷を掛けない構造となって
いるのでしょうか。
・ニ手先。その上にもう一つ斗が乗って雲肘木となっています。
○金屋敷 遊錦舎 1920年(大正9年)製作
・大正期の落慶。梁の上に斗が乗ったシンプルな形状。支輪が無いため、上記3台と
比べるとやや背丈が低くなっています。
・出組(一手先)。
○上山梨中町 政和殿 1919年(大正8年)製作
・同様に大正期の落慶で遊錦舎と同様の形状。
・出組(一手先)。
○上山梨上町 雲井輿 1897年(明治30年)製作
・明治期の落慶。斗などの組物は無く、梁の上に縁板が直接乗っています。また
下の梁や桁の間にも組物は見られません。
中東遠すべての地区に言える事ではないですが、少なくとも山梨地区においては
年代が下がるにつれて組物は減少していく傾向が見られます。
明治期・・・組物は見られない
大正期・・・出組の始まり 組物の黎明期
昭和期・・・肘木などの組物で支輪のスペースが誕生
平成期・・・組物の複雑化
というところでしょうか。
また他の地区をしっかりと見ていきたいと思います。
ヒロさん、御指導ありがとうございました。