支輪組物の考察A ・・・飯田山名神社祇園
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○ 最初に
@で袋井市山梨地区の山名神社祇園祭りに参加する屋台の組物を比較してみました。今回は山梨地区の
北側に隣接する森町飯田地区の山名神社祇園祭りの屋台を見てみます。今回は古い屋台から見ていきます。
なお、管理人は全くの建築素人ですので、誤解や誤りがありましたらドシドシ御指摘をお願いいたします。
○ 組物の説明
○中飯田 本城舘 1894年(明治27年)製作
・飯田地区で最古の屋台。大正5年に改修とのことなので往時のままと捉えるのは
少々難しいかもしれません。
・面白いのは支輪にある組物が前中後だけ「出三斗」となっているところで、もしか
すると彫物のある欄間が大正の改修で付け加えられたのかも知れません。
・基本的には出組(一手先)と考えて良さそうです。
○上飯田 鶯鳴舘 1908年(明治41年)製作
・明治期の屋台。梁の先端に斗が乗る形態です。支輪が無いためやや背は低めです。
・出組(一手先)。
○城北 城栄社 1927年(昭和2年)製作
・昭和初期の屋台。中段の梁や桁(丸桁)が一回り大きく、「二手先」となって
います。
・肘木が登場してくる前の形態ですが、ここまで明確な「二手先」は珍しいです。
・もとは森町向天方の屋台。
○若宮 若宮社 1929年(昭和4年)製作
・同じく昭和初期の屋台。斗のみの組み合わせで「ニ手先」になっています。
・もとは森町新町の屋台ですが、昭和初期の森町市街区では「二手先」が流行した
のでしょうか。
○西組 宝僊社 1954年(昭和29年)製作
・戦後の屋台。肘木が登場し、一気に華やかになっています。梁の先端を木鼻とし
その上に「出三斗」。
・ニ手先。
○東組 東雲舘 1954年(昭和29年)製作
・同様に戦後の屋台。梁の先端を木鼻としその上に「出三斗」。
・ニ手先。
○市場 浅草舘 平成8年(1996年)製作
・平成期の屋台。龍の彫物の上に斗が乗り丸桁、更に出組で「二手先」と考えて
良いと思います。斗ニ段。
○下飯田 宮本車 平成6年(1994年)製作
・同地区で最も新しい平成期の屋台。彫物の上に「出三斗」。斗ニ段。
・二手先。斗2段。
○オマケ 東組 中老屋台 製作年不詳
・梁に斗が乗ったシンプルな構造。
飯田地区においても山梨地区同様に年代が下がるにつれて組物は減少していく傾向が見られます。
この地区には昭和初期の森市街の屋台が2台あることから、その影響を大きく受けていると
推測されます。
明治期・・・組物の黎明期
大正期・・・現存せず
昭和期・・・斗を複数使用して張り出しを増やす(森の祭りの屋台)
戦 後・・・出三斗の出現
平成期・・・組物が更に華美に
というところでしょうか。やや山梨地区よりも組物の複雑化が早い傾向があります。
また他の地区をしっかりと見ていきたいと思います。