支輪組物の考察C  ・・・戦前の屋台について               戻る



 ○ 最初に

     考察Bで森町の森のまつりに参加する屋台を見ましたが、昭和初期に支輪へ出三斗が出現したのではないかという
    推測ができると思います。よってあらためて3地区と各地に散った戦前の屋台を見てみます。
    (改修された屋台は除く)

     袋井の山梨地区以外に関しては、誠に申し訳ありませんが自身で撮影に行けていないので、これ、と推測する
    ネタが不足しています。数年に一度、袋井地区の祭典日と私たちの祭典日がずれますので、その時にきっちりと
    見て回ろうと思いますので、該当地区でやきもきされている方がいらっしゃいましたら、御容赦願えたらと思います。

     もしここに掲載されていない屋台の写真がありましたら教えて頂けますと幸いです。

     左側から森町市街、森町飯田、袋井山梨、袋井市街の順です。

  森町 森市街 森町 飯田 袋井 山梨 袋井 市街
江戸後期 新町 初代北街社 1850年代(嘉永年間)製作

・江戸後期の屋台。一切の組物などなく、梁の上に陸屋根が
 載っています。現存する森町の最古の屋台です。
・掛川市伊達方を経由し現在は菊川市東町、栄町の屋台。
                
明治期 下宿 先代桑水社 1867〜80年頃(明治初期)製作

・明治初期の屋台。組物なしで丸桁が2段。
・森町戸綿地区を経て現在は菊川市日吉町の屋台。


出自不明 1867〜1909年頃(明治期)製作 


・明治期の屋台。先代桑水社と構造はほぼ同じです。
・森町薄場を経て現在の菊川市西通りの屋台。それ以前は不明。
 明治期製作の屋台は多く、初代沿海社、初代明開社、先々代
 
水哉社、2代目北街社が該当するがいずれかは不明。


城下 初代谷本社 1892年(明治25年)製作

・明治中期の屋台。木鼻に斗という組物の初期形態です。
・現在は菊川市日ノ出町一丁目目の屋台。
・欄間の彫物がだんだんと豪奢になってきています。


天宮 初代凱生社 1895〜1906年頃
         (明治28〜39年)製作


・明治中期の屋台。上部白木の高覧は平成3年の改修による。
・現在の菊川市青葉台の屋台。




























































































上飯田 鶯鳴舘 1908年(明治41年)製作

・明治後期の屋台。木鼻に斗という組物の初期形態です。
・欄間に組物が出現しています。





























































上山梨上町 雲井輿 1897年(明治30年)製作
・明治中期の屋台。斗などの組物は無く、梁の上に縁板が直接
 乗っています。


入古 先代栄西舘 1902年(明治35年)製作 

・明治後期の屋台。木 鼻に斗という組物の初期形態です。
 袋井市青木町を経由し、現在は磐田市東新町西の屋台。
 欄干に擬宝珠が付く。

大正期






























本町 先代水哉社 1922年(大正11年)製作 
推 測

・大正期の屋台。木鼻に斗が載り、一段上の木鼻を支えて
 います。ぱっと見で二手先に見えますが丸桁が一つしか
 ないので出組(一手先)と判断しています。
・現在の菊川市新通の屋台がそれであると推測しています。
  上山梨中町 政和殿 1919年(大正8年)製作

・大正期の屋台。木鼻に斗という組物の初期形態です。
 欄干に擬宝珠が付く。

金屋敷 遊錦舎 1920年(大正9年)製作

・大正期の屋台。木鼻に斗という組物の初期形態です。
 欄干に擬宝珠が付く。

昭和期戦前 向天方 初代慶雲社 1927年(昭和2年)製作

・昭和初期の屋台。中段の梁や桁(丸桁・がぎょう)が
 一回り大きく、「二手先」となっています。
・肘木が登場してくる前の形態ですが、明確な「二手先」は
 珍しいです。
・現在は森町飯田城北地区の屋台。


新町 先代北街社 1929年(昭和4年)製作

・昭和初期の屋台。斗のみの組み合わせで「ニ手先」を表す
 初期二手先。
・現在は森町飯田若宮地区の屋台


明治町 明開社 1934年(昭和9年)製作

・昭和初期の屋台。木鼻の上に「出三斗」となっており
 ニ手先。
・おそらく出三斗を設けた最も初期の屋台の一つと考えられ
 ます。


天宮 凱生社 1936年(昭和11年)製作

・昭和初期の屋台。「出三斗」が本来の寺社建築様式と同様
 壁面にありながら初期二手先を呈する一風変わった組物。
・昭和初期の森では屋台毎に趣向を凝らした組物があった
 ようです。


    川 井東 先代慶雲車 1928年(昭和3年)製作

・昭和初期の屋台。
斗のみの組み合わせで「ニ手先」を表す
 初期二手先。

・現在は磐田市豊岡平松地区の屋台。



  戦前の屋台の組物推移を森町の屋台を中心に時系列で追ってみました。

   ・欄間への組物の出現は、欄間彫物が豪奢になってきつつあった明治後期
   ・支輪への組物の出現は、同様に明治後期
   ・現在の一般的な様相の「出三斗」が支輪へ明確に出現したのは昭和初期
    それと前後して支輪の彫物が出現

  という推移ではないかと考えられます。

  またオマケですが、彫物が欄間へ出現し、大きく豪奢になっていくにしたがって組物が
  発展してきた様に考えられます。つまり彫物なくして現在の組物の形態はなかったとも
  言えるのではないでしょうか。


  あとは袋井地区の古い屋台を検証していけば、組物の推移の全体像が把握できると思います。